弥生三月、二十四節気の啓蟄(けいちつ)の頃となりました。教会の周りの木々の肌色が少し変わってきた気がします。山々や木々の色はかがでしょうか?
ご法話の冒頭の良寛禅師の歌「我宿の 草木にかくる 蜘蛛(くも)の糸 払(はら)わんとしてかつは(すぐに)やめける」とあります。会長先生の仰る通り、なんの気負いもない良寛禅師の所作に、あらゆるものを包み込む慈悲心を感じました。さらに、釈尊は「身と言葉を慎み」「身体、言葉、心を慎むのは善い行為である」など、先月号の「恥じること」と同様にその大切さを述べておられると。会長先生は、慎みとは、慈悲と一体のものではないかと私は思うのです、このように教えてくださっています。
とっさの時、自分は、こんな温かな行為、優しい振る舞いをしていたかと思うと恥じいるばかりですが、「慈悲とは慈悲の実践つまり訓練によって増大し、熟していく」(奈良康明師)ものだからということで、会長先生は「悟ったから慈悲心が起こり、慎み深い行いができるのではなくて、他を思いやって言動を慎み接するなかで『みんな一つに結ばれている自他一体の命なのだ』と気づくことが大切でそこに一つの悟りがあるのです。」と。
至らぬ自分ではありますがやってみようと思います。
身近な実践から世界の問題までということで、先ずは、「一食を捧げる運動」です。月に数度、一食や嗜好品を抜いて空腹感を味わい(同悲)、世界中の苦しんでいるひとびとに思いを馳せ(祈り)、献金(布施)します。能登半島地震、そして、世界の人道支援も。
また、世界宗教者平和会議など。先日(2月19日~21日)行われた第2回「平和円卓会議」が開催されました。開祖さまが土台を作ってくださったことは、私たちの誇りです。微力では在りますが、私たちの祈りと実践が世界に繋がっていることが感じられます。
本年は教団創立86周年、大聖堂建立60周年です。60年前に開祖さまは「建物が大きいからりっぱな教団なのではなくて、また伽藍ができたからそれで教団が成熟したということでもなく、そこに集う同心の仲間一人ひとりが、仏の教えを学んでいつもいきいきとして、謙虚で慎み深く、それがひいては地域、社会の人びとの心にぬくもりや元気を与える――そのような教団でありつづけることが大事だと伝えたかったのでしょう」と。
今月は、お互いさま新たな時のスタートに自分によく合うと思われることを信じてやってみましょう。さあ、実践です。
合 掌
令和六年三月一日
立正佼成会仙台教会
教会長 岩間由記子