「愚痴をいわないために・・・」教会長 近藤雅則(平成29年6月)
- 2017/6/1
- 心を創る
機関誌『佼成』6月号の庭野日鑛会長の法話は「愚痴をいわない」というテーマでした。この中で、深く心に響いたのは次の言葉です。
☆ときには思いどおりにならないことを人のせいにしてまで愚痴をこぼすのです。私たちがなぜ、そこからなかなか抜けだせないのかといえば、自分の知っていること、思っていること、考えていることが「絶対に間違いない」という錯覚にとらわれているからです。
☆自分のことよりも他人の幸せを喜べる人は、愚痴や不平から縁遠いはずなのです。
愚痴を口にしている人の所には、愚痴を言いたくなることが集まってくる。一方、感謝のことばを口にしている人の所には、感謝したいことが集まってくる。これは宇宙の真理です。愚痴を言うことは、損得勘定から考えても大変損なことなのです。
今年、仙台教会では、「1日300回“ありがとう”を口に出して言いましょう」を目標にして取り組んでいます。実際に、そのように実践した人が、「1日300回も“ありがとう”を口にしていると忙しくて、愚痴や不満を言っている暇がない」と発表されていました。これは大事な気づきだと思います。まさに、形から入る修行です。理屈抜きで、だれもが実践でき、確実に愚痴や不満をいわなくなる方法です。
愚痴をこぼすのは、自分の知っていること、思っていること、考えていることが「絶対に間違いない」という錯覚にとらわれているからですと、愚痴をこぼす原因をはっきり示されています。自分は知っている、自分はわかっている、自分の方が相手より正しいという錯覚が愚痴の原因ということですが、これは人間関係を悪化させる原因でもあります。夫婦、嫁姑、親子、職場の人間関係、果ては民族や国家同士の争いもすべて、この錯覚が原因だと言ってもよいと思います。
「私はこのように思うが、きっと相手にも相手なりの思いや考え方があるだろう」「もしかすると、相手の方にも正しい面があるかもしれない」そのくらいの心のゆとり、謙虚さをもって人と接していけば、人間どうしの争いはなくなりますし、愚痴や不平不満をこぼすこともなくなるのでしょう。
また、自分のことよりも他人の幸せを喜べる人は、愚痴や不平から縁遠いはずなのですと書かれてあります。目の前の人をどうしたら幸せにしてあげられるか、どうしたら仏さまの道に導きいれてあげられるか。そうした願いを持っていれば、いつ、どんなときでも、どなたに対しても愚痴や不平ではなく、温かい笑顔をもってふれていけるのだと思います。その最高のお手本が開祖さまだと思います。
合 掌
平成29年6月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則