💎 庭野日敬開祖「䞀日䞀蚀」毎日のこずば什和幎月

2021.12 䜿甚

今月は、『法華経』を所䟝しょえの経兞ずする立正䜌成䌚の䞭心的行法である「仏性瀌拝行」に぀いお、庭野開祖のおこずばを「䞀日䞀蚀」ず題しお぀ず぀ご玹介しおいきたす。

【月日 自分が倉われば盞手が倉わる】
 盞手を倉えようずするより先に自分を倉える、その修行をするのが仏道を孊ぶこずだず蚀えたしょう。経兞に説かれおいるずおりに実行しお自分が倉わるこずで、どんなに幞せになれるか、法華経にはその功埳が満茉されおいたす。その法華経の神髄を、倩台倧垫は「䞀念䞉千」ずいう法門に凝瞮されたしたが、それを私たちは、「自分が倉われば盞手が倉わる」ずいう合蚀葉にしお、毎日の生掻の䞭で実践しおいるわけです。『開祖随感』巻頁

【月日 盞手を認め、受け入れる】
 いちばん倧事なのは、盞手にその気になっおもらうこずです。぀たり眠っおいる仏性を、どう匕きだしおあげられるかなのですね。ですから、業を煮やしおこっちが怒っおしたったら負けです。盞手は心を閉ざし、うしろを向いおしたいたす。怒るかわりに盞手を認め、受け入れる。それができるかできないかで、勝負が分かれおしたいたす。『開祖随感』巻頁

【月日 「自高我慢」を陀く】
 自高我慢ずは、自分は人より偉いのだず高ぶり、我を通しお譲らぬ慢心です。それを自分の心からすっかり抌しだしおしたうこずが、なかなかできないのですね。呚囲のたくさんの人や物によっお生かされおいる自分の本圓の姿が芋えお初めお、自高我慢が陀かれ、人を導く力が具わっおくるのです。
 よく、「最近の若い者はおだおお、その気にさせないず動かない」ずか、「いや、厳しく蚀わないず増長しおしたう」ず意芋が分かれお、どっちが本圓なんだろうず迷っおいる人がいたすが、人をうたく動かそうずか、教えおやろうず考えるこずが、慢心なのです。あくたでも謙虚に修行に培するうしろ姿が、人を正しい道ぞいざない、導いおいくのです。『開祖随感』巻頁

【月日 「謙虚」な心で】
 法座は、人が感心するような説法を聞かせたり、こっちの考えどおりに人を動かそうずする堎ではありたせん。盞手の苊しみずひず぀になる堎なのです。
 苊しんでいる人の蚎えを、ありったけ聞いおあげる心になればいいのです。そのためには、なによりも謙虚さが倧事です。『開祖随感』巻頁

【月日 欠点を長所にかえる“りルトラ”】
 かなえおもらいたい願いずいうのは、぀たりは欲なのですが、その欲がきっかけで、い぀のたにか六波矅蜜を行ずる人になっおいくわけです。そこのずころを、ずりわけ教䌚長さんや支郚長さん、幹郚さん方は芋守っおあげおほしいのです。初めから「欲を捚おなくおは幞せになれたせん」「その短所を盎さなくちゃならないんですよ」ず改めさせようずするず、その人の掻力たでそぐこずになりかねたせん。その欲をうたくリヌドしおあげるず、それが粟進の゚ネルギヌに倉わっおいくのです。
 欠点を指摘するのは、だれにもできたす。倧事なのはその人の長所を芋぀けおあげられる目を持぀こずです。それが具わっお初めお、人の欠点を長所に倉えるずいう“りルトラ”ができる幹郚さんになるのですね。『開祖随感』巻頁

【月日 そっくり受け止めおあげる】
 目先の利害に振り回されお、顚倒した芋方でいた苊しみもがいおいる人は、自分の力でそこから脱出するこずは、たず䞍可胜です。そうしお苊しんでいる人を芋るず、「そんなこずをしおいおはだめじゃないですか」ず、぀い叱咀したくなるのですが、あやたちたでも含めお、その人をそっくり受け止めおあげるのが、すべおの人の仏性を認めるこずなのですね。
 たわりじゅうからあやたちを責め立おられおいる䞭で、人の枩かい蚀葉に觊れるず、そのひず蚀で、ハッず自分に気づかされるものなのです。それたで閉じ蟌められおいた仏性が、ひずりでに衚に珟われおくるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 盞手の心に寄り添う】
 人をこう動かそう、ああ動かそうず思っおも、人はこちらの思いどおりに動いおくれるものではありたせん。ずころが、心の底から盞手に幞せになっおもらいたいずいう願いから出た蚀葉は、ただのひず蚀であっおも、盞手の琎線に觊れお、人を動かすのです。そういうひず蚀は、い぀も盞手の心に寄り添っおいおこそ出おくるのですね。『開祖随感』巻頁

【月日 生きる力を䞎えおくれる人】
 自分がどんな人のそばに行きたくなるか、反察に、ちょっず敬遠したくなるのはどういう人か、思い浮かべおください。い぀も自分のこずを認め、ほめおくれる人の姿を芋かけるず、こっちから、そばに寄っおいっお声をかけたくなりたすね。反察に厳しいだけの人は、ありがたいこずを蚀っおくれる人だず分かっおいおも、぀い敬遠したくなっおしたいたす。
 優しいずいう字は、人偏に憂えるず曞きたすが、自分のこずで憂えるのでなく、人の悲しさ切なさを本圓に憂えおあげられる人、それが優しい人です。そういう人こそ、人に生きる力を䞎えおあげられる人、人間ずしおいちばん優れた人です。だから優しいずいう字は、優れおいるずも読むのです。『開祖随感』巻頁

【月日 本圓の和の䞖界】
 自分は正しいのだずいう高みに立っお盞手を責めるず、悪いのは重々承知でも、“䞉分の理”を蚀い立おるのが人間です。かりにそれで盞手が倉わったずしおも、こっちのほうが、い぀のたにか鬌の心になっおしたっおいるのです。
 自分のものさしで枬っおいるうちは、盞手の間違いしか芋えないのですね。教えに照らしお自分を省みる懺悔があっお初めお、自分も盞手も䞀緒になっお幞せをかみしめられる、本圓の和の䞖界が広がっおいくのです。『開祖随感』巻頁

【月日 出䌚う人が仏の子】
「神を愛しおいる、ず蚀いながら兄匟を憎む者がいれば、それは停り者です。目に芋える兄匟を愛さない者は、目に芋えない神を愛するこずができたせん」ずいう聖ペハネの蚀葉がありたす。䞭略
 あの人、この人の欠点ばかりが目に぀いお、人をさしおいるうちは、「すべおの人が仏性を具えた私の子どもなのですよ」ずおっしゃられる仏さたを本圓に信じおいるずはいえないのですね。
 出䌚う人、出䌚う人を通しお、自分の䞉宝垰䟝がどれだけ本物になっおいるかが確かめられるわけです。『開祖随感』巻頁

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【月日 本圓の䞉宝垰䟝】
 完党無欠な仏さたなら信じお疑わないけれども、自分のたわりにいる人は、あの人も歀の人も、信じられるような人はいない、ずいうのでは、ただただ本圓に仏さたを信じおいるずはいえたせん。
 身近にいる人は、アラのほうばかりが芋えおしたうものです。その人も仏の子なのだず、その本性を拝めるようになっお初めお本圓の䞉宝垰䟝になるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 人間ず人間の察話】
 どんな問題であっおも、話したいこず、聞きたいこずがある人がいたら、その蚀い分をずこずん聞いおあげお、「なるほど」ず心から玍埗しおもらえるたで話しおあげる。それが法座です。
 盞手の蚀葉をひず蚀ふた蚀聞いただけで、「あずは聞かなくたっお分かっおいたすよ」ずいった調子で決め぀けおしたったのでは、人間の察話は成立したせん。䞭略
 すべおの人が、それぞれの尊厳さを具えた存圚であるこずを胞にしっかり刻み぀けお、盞手を心から瀌拝できなくおは人間の察話は成り立ちたせん。『開祖随感』巻頁

【月日 認めおあげる】
 いたの瀟䌚で、人びずが心の䞭でいちばん求めおいるのは自分の気持ちを分かっおほしい、ずいうこずなのではないでしょうか。䞭略
 十やったこずを、十䞉も十四も認めおもらわないず玍たらないのが人間なのです。ずころが、よくおもせいぜい䞃、八分しか人は認めおくれない。ですから、その䞍満を芪身になっお聞いおくれる人がいるず、それだけで救われおしたうのですが、たいおいの人は、盞手の蚎えを聞くより自分の蚀いたいこずを先に抌し぀けおしたうのですね。『開祖随感』巻頁

【月日 「ほほえみ」は菩薩行の栞心】
 自分のほうからほほえみかけおも、盞手が぀んずしおいたり、䞭には、わざわざそっぜを向くずいう人もいたす。そういうずき、どうするかが倧事です。
「期埅したほほえみが返っおこなくでも、䞍愉快になるかわりに、もう䞀床、あなたからほほえみかける。ほほえみを忘れた人ほど、それを必芁ずしおいる人はないのだから」ず教えおくださる人がいたした。
 小さいこずのようですが、そこに菩薩行の栞心があるのですね。『開祖随感』巻頁

【月日 繰り返し䞁寧に】
 どんなに幌皚な質問をしおくる人に察しおも、「それは、こういうこずですよ」ず、こんこんず話しおあげる。䜕床同じ質問を受けおも、面倒くさがらずに、そのたびに䞁寧に答えおあげる。これが仏教の説き方です。『開祖随感』巻頁

【月日 自分の分を守る】
 家庭成仏ずいうのは、みんなが心から満足しおいられるこずだず考えるず、分かりやすいず思うのです。盞手を救うのだなどず力たなくおもいいのです。たず自分が自分の分を守る。
 ご䞻人はご䞻人の分を守る。奥さんは奥さんの分を守る。子どもは子どもの分を守る。誠に簡単なこずのようですが、家族が互いに尊敬し合っおいないず、この自分の分を守るこずができないのです。䞭略
 互いに盞手のよいずころを芋぀ける努力をしお、それを、ひず蚀でもいいから、口に出しお蚀っおあげる。それが、盞手を尊敬するこずです。そういう努力をしおいるず、おのずず自分の分が守れるようになっおくるのです。
 䌚瀟の成仏、囜の成仏、䞖界の成仏も、原理は䞀぀です。『開祖随感』巻頁

【月日 凡倫ずしおの自芚】
 どの人間にも、長所ず短所があるものです。矎点ず欠点ずいっおもいいでしょう。
 ですから、聖埳倪子はその長所ず短所の茪がからみ合っおできおいる状態を評しお、あたかも耳食りのようなもの、すなわちむダリングに䌌おいるず蚀われおいたす。䞭略
 䞀切衆生はこずごずく仏性を具えおおり、それを開顕するこずこそがいちばん倧切なのだ、ず仏教では教えおいたす。互いに欠点ばかりを芋おいるだけでは、解決になりたせん。たさしく聖埳倪子が蚀われたように、お互いさた、凡倫である自芚ず謙虚さこずが倧切なのです。『開祖随感』第巻頁

【月日 自己を芋぀める】
 なによりもたず、自分自身に目を向けなければなりたせん。犅宗では「芋性成仏」ずいうこずを教えたす。自分の心を培底的に掘り䞋げお芋極めおこそ、わが身が仏性そのものにほかならないこずが自芚でき、本圓の自分に目芚めるこずができるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 自他䞀䜓】
 道元犅垫は、自他はずもに䞀぀のいのちを生きる存圚であるずしお「他己たこ」ずいう蚀葉を甚いられたした。私たちは自分ず他人を異なる存圚ず峻別しゅんべ぀しがちですが、他人も同じ仏のいのちを生きるもう䞀人の自分なのです。自他が䞀䜓であれば他人が䞍幞のたたでは自分も本圓に幞せになれたせん。人さたのための慈悲行は人間の぀ずめだからずいうのでなく、自己を向䞊させおもらうためのものであるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 ほめおあげる】
 人の欠点だけを芋おそれを突くよりも、よい点を芋぀けおほめおあげ、たた自分にも取り入れさせおもらう、そのほうが、どれだけ盞手に喜ばれ、自分を豊かにするかもしれたせん。『開祖随感』巻頁

【月日 ただひず色の“空”】
 この䞖に存圚するものは、すべお、ただひず色の“空”で成り立っおいたす。その珟われは、無生物あり、動物あり、いろいろな人間ありで、たこずに皮々さたざたです。この無数の異なる圢を持぀ものが、それぞれに自分の持ち前、存圚䟡倀をフルに発揮し、圹割を果たすずころに倧調和が珟出するのです。『開祖随感』巻頁

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【月日 それぞれの成仏②】
 人それぞれの性質に応じ、倩分に応じ成長し、自分なりの実を結ばせるこずがなによりも倧切で、尊いのです。それぞれの持ち味を完党に発揮させるのが成仏です。『開祖随感』巻頁

【月日 それぞれの成仏①】
 仏さたは、すべおの人を平等に芋お、ある人をかわいがり、ある人は憎むずいうようなこずは決しおなさいたせん。い぀も䞀切の人に平等に法を説かれるのです。あの人はあんなに早く成長しおいるのに、私はなかなか成長できない、ずあせったり、あきらめたりしおはならないのです。『開祖随感』巻頁

【月日 菩薩行ずは】
 菩薩行ずは、珟実の汚れの倚い䞖界から逃げ出さずに、すべおの人にそなわる仏性に働きかけお自他ずもにそれを磚き出しおいく実践です。
 人さたに積極的に働きかけおいくこずによっお、人は自分の本圓の姿に目芚めるこずができたす。そしお、すべおの人の仏性をいきいきず発珟させるために手を差し䌞べ、この珟実の瀟䌚を理想の䞖界に倉えようず努力し続けるのが菩薩なのです。『開祖随感』巻頁

【月日 すべおの人が仏の子】
 神仏から芋れば、かわいくない人間、無甚な人間などあるわけがないのです。私たちは぀い、「いおもらわなくおはならない人」「いおもらっおは困る人」などず人を区別しがちですが、すべおの人が“仏の子”であるこずを、互いにしっかりず心に刻たなくおはなりたせん。『開祖随感』巻頁

【月日 䞀切衆生はわが子】
 私たちは、䜕か苊しいこずにぶ぀かっおどうしようもなくなるず、「神も仏もあるものか」ず叫びたくなるずきがありたす。しかし、「䞀切衆生はわが子」ずいわれる仏さたが、私どもを芋攟されるわけがありたせん。仏さたは、い぀も私たちを芋守り、救いの手を差し䌞べおくださっおいるのに、私たちのほうがそっぜを向いお、その手をはねのけおいるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 人間性の開発】
 仏性ずは、すべおの人間にそなわる本然の性ですから、これを「人性」ず呌んでもいいのですが、善も悪もそのたたでいいわけではありたせん。あくたでも、人性即仏性で、自分の内にある仏ず同じ性質に気づき、それを䌞ばすこずが倧切なのです。
 仏性開顕ずは、぀たり人間性の開発ずいうこずにほかならないのです。『開祖随感』巻頁

【月日 仏性の開顕は人生の倧県目】
 仏性の開顕は人生の倧県目です。浄土は西方の圌方にあるのではなく、自己の本然の姿である仏性を開顕したずきに、苊の嚑婆ず芋えたこの䞖界が、じ぀は浄土であったず分かりたす。それが『法華経』に説かれる「我歀土安穏 倩人垞充満がしどあんのん おんにんじょうじゅうたん」の䞖界です。『開祖随感』巻頁

【月日 人に拝たれる人】
 人は畏敬する察象を持぀こずによっお、おのずず謙虚さがそなわりたす。神仏に合掌し、人さたに心から合掌できる人、人を拝める人こそが、だれからも拝たれる人になるのです。『開祖随感』巻頁

【月日 倩䞊倩䞋唯我独尊おんじょうおんげゆいがどくそん】
 「倩䞊倩䞋唯我独尊」ずいう蚀葉も、お釈迊さたがご圚䞖圓時のむンドの瀟䌚にあっお人間ずしお生きる喜びを倱っおいる倧衆に、自分ずいう存圚は䞖界にただ䞀぀しか存圚しない、なににも代えがたい尊い存圚であるこずを教え、人間ずしお生たれた喜びを知らしめる衚珟であったのです。『開祖随感』巻頁

2023.06.01 ご䜿甚お写真

「垞䜏歀説法」庭野日敬 曞

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