【こころの彩時記17】💎 「珠玉のことば」(市民社会のためのリーダー養成塾より)
- 2019/11/7
- 自分を創る
2019年次の仙台教会「市民社会のためのリーダー養成塾」も無事に終了しました。昨年は第1期生14名、今年は第2期生11名が、それぞれの夢と願いを持って地域社会へと巣立っていきました。
このリーダー養成塾では、本年次も尊く、貴重なご講義、ご講演をたくさん頂戴しました。そのご講義の中から、それぞれの講師さま方のキラリと光る心に残る珠玉のお言葉をピックアップしてご紹介いたします。(敬称は略させて頂きます)
村井嘉浩(宮城県知事)
今までの私の人生で、いつも人を育てることの難しさを感じてきました。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」。これは、山本五十六連合艦隊司令長官の言葉です。しかし、この続きがあることをご存知ですか?
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」。さらに続けて「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」。本当にこの通りだと思います。
(第1回「人間としての生き方~松下幸之助師に学ぶ」より)
近藤雅則(塾長、立正佼成会仙台教会長)
私が考えるめざすべき人材像は以下の4点です。
1.自らの発意で行動を起こせる自立した人材。
2.社会の片隅で悩み苦しむ人々に目を向けて寄り添う人材
3.地域の課題に関心を持ち、共通の願いをもつ団体や個人と連携できる人材
4.自身の“発心”、“情熱”、“アイディア”、“持ち味”を最大限に活かせる人材
このような人材を、仏教では「菩薩」と呼ぶと私は思っています。
(第1回「市民社会が求める宗教とは」より)
保積秀胤(大和教団教主)
私たちは、大自然に生かされています。また、両親、ご先祖さま、そして神さま、仏さまの“いのち”を頂いて生かされています。これらのことを自らがしっかりと自覚し、感謝の心で生きる。と同時に、人さまの幸せを願い、行動するという生きがいをもって生きていくことが大切ではないでしょうか。
(第1回「いかに人間は生きるべきか? 大和教団の教え」より)
齋藤忠夫(東北大学名誉教授)
全国の小中学生のうち、就学援助の支援対象者の割合は1995年には16人に1人だったのが、2015年には6人に1人に増えました。学用品がなかなか買えない、子どもの本が自宅に一冊もないといった家庭がたくさんあり、いわば各家庭の「文化力」に格差がついているのが現状なのです。学問、教育はすべての人にとても大切なことなのです。
(第1回「現代における『学問のすすめ』より」)
青木淳子(NPO法人 仙台夜まわりグループ事務局次長)
今から19年前の年の暮、この仙台の冬の寒空のもと、路上で暮らしている人がいらっしゃるということを聞きました。すぐに夫と夫の友だちとの3人で、夜の8時過ぎにしんしんと冷え込む仙台の夜に繰り出していきました。ホッカイロとインスタントのお味噌汁とミカン。それらをもって深夜まで駅の周囲や公園、道路などで寝ている路上生活者の方々に声をかけて回らせてもらいました。それが、私たち「仙台夜まわりグループ」の活動の始まりでした。
(第2回「市民による『よりよき社会づくり』の心と実践」より)
小宮位之(NPO法人 八王子つばめ塾理事長)
『論語』に「徳は孤ならず必ず隣あり」という言葉があります。“徳のある者は孤立することがなく、理解し助力する人が必ず現れる”という意味です。私にはとても“徳”があるとは思っていません。ただ貧困家庭といわれる家に育つお子さんやご父兄の皆さんに「何とかお役に立ちたい」という“志”が私にはあります。そこで、この『論語』の“徳”を“志”に変えて「“志”は弧ならず必ず隣あり」と読み替えました。“志”のあるところには必ず良き理解者が現れてくれると信じています。たった一人で始めた無料塾でしたが、今は70名を超えるボランティアの講師、スタッフが集まってきてくださっているのです。
(第2回「困難を乗り越えていく力とは?」より)
新井 純(NPO法人 仙台支え愛サポートセンター代表理事)
私にとってのリーダーシップとは何でしょうか?野田智義氏(NPO法人 アイ・エス・エル理事長)から教えて頂いた次の言葉です。
「リーダーシップは本を読んで習得するものでも、誰かから教わるものでもない。いわば、私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するのだ」。そして、私がこのボランティアを立ち上げる際、玄秀盛氏(公益社団法人 日本駆け込み寺代表)から叱咤激励された「あなたの情熱が資本金!」という言葉に強く押されて今日があるのです。
(第2回「世のため、人のために、私たちができること」より)
村田守広(竹駒神社宮司)
日本には古来より「包む」という文化がありました。風呂敷や袱紗(ふくさ)に包み、その中に包まれた“もの”が美しく、大切な“もの”であることを相手に伝えます。この大切な“もの”を包み込む文化は、自己の感情を表に出さない日本人の美徳にも通じ、「包む」から「慎む」という心を生むことに繋がったと思います。
(第3回「日本人が培ってきた大切な心」より)
谷山洋三(東北大学大学院准教授)
人間も生き物ですから、誰にも必ず死が訪れます。ですから、皆さんに言えることですが、誰もが「余命」を生きているのです。その余命の時間は一人一人違いますが、命が有限であればこそ後悔のないように死にたいと思うのが当然の心情ではないでしょうか。
(第3回「生と死の尊厳を見つめて」より)
佐藤正友(宮城県森林組合 代表理事会長)
私が生まれ、育ったこの地、この地域に愛着があるのです。この美しい里山が荒れていっては、この地域を守ってきてくださった多くのご先祖さまに申し訳ない。だからこそ、私の最後の仕事として、この地域をより美しく残していきたい、後世に引き継いでいきたい、この地域に住む人たちを元気づけていきたい。ただその一心でこの身を地域のために使わせてもらっています。
(第3回「町おこしに向けて私が歩む道」より)
湯村利憲(社会福祉法人 臥牛三敬会理事長)
地域に生きるということは、地域に向かっていかに主体性を持って具体的に行動を起こすかであり、それがとても大切なことだと実感しています。地域社会は小さくたたけば小さく応え、大きくたたけば大きく応えてくれます。何も行動を起こさなければ、何も応えてくれません。これからも私たちは地域の温かい支援を受けながら、私たちのスローガンであるすべての人が、“より自然に!より当たり前に!地域の中で生活を!”の実現をめざして参ります。
(第3回「社会福祉のための私たちの取り組み」より)
庭野光祥(立正佼成会次代会長)
アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971年)という方の「ニーバーの祈り」という祈りの言葉があります。
神よ、
私に変えることのできないものは、それを素直に受け容れるような心の平和を!
変えることのできるものは、それを変える勇気を!
そして変えられるものと変えられないものとを、見分ける知恵を!
この私にお与えください。
この仙台教会の市民社会のためのリーダー養成塾に参加されている皆さんお一人お一人が、この塾での学びをきっかけとして「平和」と「勇気」とそして「知恵」の灯を心にともして頂けたらと思っております。
(第4回「庭野日敬開祖の『法華経観』、『平和観』」より)
川端健之(立正佼成会理事長)
私たち一人一人を、仏さまはいつも思ってくださっています。例えば「私は菩薩の道を歩もう」という心を起こしたら、仏さまは必ずその心を見逃しません。その人のその心にふさわしい、その人にぴったりと合った現証を出してくださり、その人にいわば“オーダーメイド”で成長のチャンスを与えてくださいます。
ですから私たちはその成長のチャンスを見逃さずに一歩、一歩、仏道を歩ませて頂く。これが『法華経』に示された人間の生き方の一つのキーポイントだと私は思っています。
(第4回「ご挨拶~市民社会のためのリーダー養成塾に期待する」より)
国富敬二(WCRP日本委員会事務局長)
庭野開祖は、次の言葉を遺してくださいました。
「どんな状況にあっても、仏さまが願われている通り、精一杯努力し続ければ、仏さまは必ずご守護くださる。全力を尽くして、結果は仏さまのお手配にお任せしていればいい。そう心に決めてしまっている」
この最後の「そう心に決めてしまっている」という言葉が一番大切だと私は思っています。その前のことはよく耳にする言葉かもしれません。しかし、庭野開祖は潜在意識の奥の奥まで到達しています。ですから、一切ぶれないのです。このことこそ、庭野開祖の最大の特徴であり、お徳だと思っています。
(第4回「『宗教協力』の未来~現状とその展望~」より)
鬼丸昌也(NPO法人 テラ・ルネッサンス創設者)
私は次の言葉が好きです。「師は針の如く、弟子は糸の如し」。布地を縫っていくためには、針と糸が一体となる必要があります。針に結ばれた糸は針のように動いていきます。
皆さんのお師匠さんはどなたでしょうか?庭野開祖さまがお師匠さんであるならば、そのお師匠さんが一体何を求めて、どんな世界を創ろうとしたのか?そこを知り、そこを学び、そこに焦点をあてて、自らが行動をしていく。このことこそ、庭野開祖さまがすでにいらっしゃらない時代だからこそ、弟子である皆さまに課せられた使命であると思っています。
(第4回「今、自分にできることー平和を創り出すために」より)