フルマラソン、“本気”でチャレンジ!! 宮城のいだてん 寺崎祐一郎
- 2019/6/1
- 青年が創る
寺崎祐一郎さん、41歳(岩沼市在住)。かつては、学校の“いじめ”から引きこもりを8年間経験、その後、職場も転職を繰り返しました。しかし、今から2年前、職場の同僚に進められて始めた「マラソン」。
「自分を変えたい。自分の人生を変えたい!!」。その一心で今年5月12日に開催された「第29回仙台国際ハーフマラソン(杜の都ハーフ2019)」に出場、21.0975Kmを見事、完走しました。今回は、マラソンに“本気”で取り組む寺崎さんをご紹介します。
◇マラソンへのきっかけ
私は、現在、警備会社に勤めています。2年前のこと職場の同僚から、
「ハーフマラソンで走ってみませんか?」
と誘われました。
ちょうど、自分の心身を鍛えたくてスポーツジムには通っていましたが、実際にマラソンとかを走ったことはありません。会社で「仙台リレーマラソン」に出場してみると、思った以上の力が出せてとても嬉しかったです。
私が17歳の時に病気で亡くなった父は、学生時代には陸上の選手として宮城県で鳴らしたそうで、その父からのDNAを感じました。
翌日、会社に出勤してみると、そんな私の力走に職場の同僚たちもびっくり。みんな私を見て、
「寺崎さん、凄い!」
「足が速いですね!」
との絶賛の嵐に、私は今まで経験のなかった喜びと自信が胸に込み上げ、“走る”ことで自分を変えてみようと決心しました。
◇引きこもりだった私
高校2年生の時に父親を失った時、私は精神的に大きなショックを受けました。また、もともと吃音の傾向もあり、それが原因でいじめにあっていた私は、同級生たちと比べて自分を卑下してしまい、家に引きこもってしまいました。夜中一晩中、テレビゲームに熱中し、昼間は寝て過ごすという昼夜が逆転した生活が始まりました。
やがて、高校も中退し、ただただ家に引きこもってのゲーム三昧の生活が、8年間続きました。
そんな私を励まし、勇気づけ、社会への第一歩を踏み出すきっかけを作ってくれたのが、“本気”で私にふれてくれた親友と立正佼成会のサンガの皆さまでした。
今でも付き合いが続いている親友のAくんは、ゲームの世界に浸りきっている私に対して、
「寺崎、お前、テレビゲームの中でいくつ仮想の世界を作ってきた。そろそろこの現実の世界の中で〈自分の世界〉を創ってみろよ!」
と叱咤激励してくれました。
またある時のことです。私の家に訪ねてきてくれたAくんは、
「寺崎、そろそろ仕事を始めたらどうだ。こんな仕事があるぞ」
と言ってきました。
「そんな仕事をしてもしょうがない。つまらない仕事だよ」
と言いった私にAくんは、
「そうか、分かったよ。“つまらない仕事”ってお前は言うけど、寺崎、お前はその仕事よりもっと“つまらない人間”だな」
その私を思う本気の厳しい言葉に、私の心は突き動かされました。私は仕事を探し、街のある新聞屋さんで働き始めました。
◇“本気”な思いに“本気”で応えたい
しかし、新聞屋さんをはじめ親戚から紹介して頂いた仕事は、いつも三日坊主。四日目から出勤することができず、そんな弱い自分が悔しくて、悔しくて、大泣きしていた時、佼成会の主任さんが偶然、私の家に訪ねてくれたのです。
その主任さんも、真剣に、本気で私に声をかけてくれました。
「寺崎くん、一歩が難しければ、半歩でもいいから、たとえわずかでもいいから前進していこうよ」
「仙台教会の道場に来て、朝のご供養の太鼓のお役をしてくれないかな。寺崎くんだったら立派にできると思う」
その主任さんの言葉に、たとえ半歩でも、わずかでも前進してみようと思った私は、それから頻繁に道場の太鼓のお役をさせて頂きました。
そして、翌年の一月に参加した「寒中読誦修行」に参加した私は、
「自分が太鼓をすることで、母親や主任さんが喜んでくれている。みんな自分の太鼓を頼りにしてくれている」
そんな思いがふつふつと胸に込み上げてきました。そんな折、主任さんが次の言葉を私にかけてくれました。
「あなたのことを一番思い、心配してくれているのは誰かな?お母さんだよね。寺崎くん、もう一度、高校へ行ってみたら。通信でいいから挑戦してみようよ」
その言葉に、私は心の中で反発しました。
(三十歳にもなって、今さら高校はないだろ。それに、そんなこと言われる筋合いじゃない!)
そのような中、私は反発しつつも『法華三部経』を毎日真剣に読誦させて頂き、また佼成会のお役を数多く頂いていると、
(自分には“本気”で思ってくれている数多くの人がいる。自分も“本気”でやってみよう!)
そのように、心の底から思えました。
その後、通信制高校に通い始めた私は「日商簿記2級」の資格も取得。34歳の時、母親や主任さんの支えのお陰さまで、無事に卒業することができました。
◇「走ること」は人生を変えること
高校卒業後、いくつかの派遣やアルバイトといった転職を経て、3年前現在の警備会社に勤め始めました。
冒頭でもお話させて頂いたように、「マラソンリレー大会」での職場の上司や仲間の人たちの讃歎の声に、マラソンへのチャレンジを決めた私は、午前9時から翌日の9時までの勤務時間で、仕事の合間を縫ってのトレーニングを開始しました。
スポーツジムで長距離走のための計画を立ててもらい、ジムではスイミング、ヨガ、ランニングマシンを中心に身体を鍛え、職場の休憩中にはスクワット300回、腕立て伏せ100回、体幹トレーニングなどを行い、毎日必ずロードワークとして走る距離をだんだんと増やして、走り込んでいきました。
毎日必ず走ると決めて練習を始めましたが、雨の日も、風の日も、雪の日もあります。体調によっては、脚が動かなくなったり、息苦しくなって意識が朦朧としてしまう時もあります。しかし、そんな時、いつも思い出すことがあります。それは、
(こんな自分が今、走れている。生きている。もっと辛いこと、苦しいことでも今まで乗り越えてきたんだ。自分はできる!)
(亡くなったお父さん、ここまで育ててくれたお母さん、そしてサンガの皆さんをはじめとした多くの人のお陰さまで今、走れている。生かされている。こんな辛さに自分は絶対に負けない!)
お陰さまで、今では毎日23キロの距離を走り、タイムも常に2時間前後で走れるようになりました。
◇人生にとって無駄な時間はない
2017年に「岩沼エアポートマラソン」(5キロ)に初めて出場し、その後、できる限りのマラソン大会に出場しました。今年4月の「第13回 柴田さくらマラソン」(ハーフ)では、自己ベストの1時間46分のタイムで完走することができました。
そして、あの公務員ランナーとして著名な川内優輝選手が出場するなど、日本でも指折りの「第29回仙台国際ハーフマラソン(杜の都ハーフ2019)」(5月12日)に初めて出場し、自己ベストは更新できませんでしたが、1時間48分のタイムで完走することができました。
これからの目標は、「フルマラソン」(42.195Km)での完走です。
しかし、ただ“完走する”ことが目的ではありません。“走る”ことで自分に自信が持てます。仕事に対しても、人さまに対しても自ら積極的に取り組み、関わっていける自分になることができました。
今思えば、引きこもりをしていた8年間もけっして無駄なマイナスの時間ではなく、自分を成長させてくれた大切なプラスの時間であったと思っています。また、自分が肉体的にも、精神的にも強くなることで、母親にも安心してもらえると同時に、今度は自分がお嫁さんを頂き、立派な家庭を築いて、母親や家族を守っていく番だと思っています。
そのためにも、まず私自身が明るく、優しく、温かい人間にならせて頂き、多くの人に「希望」と「勇気」と「自信」を与えていける私になりたいと本気で願っています。