本気になって大いなる苦労をしましょう!教会長 近藤雅則(平成29年10月)
- 2017/9/30
- 心を創る
『佼成』10月号の会長法話は、「苦悩と苦労」というテーマでした。この中で、印象深いのは次の言葉です。
☆悩めばこそ向上があり、悩むことは人間にとって大事な経験だと思うのです。
☆釈尊は、すべての人を救いたいと決意され、布教伝道に邁進された「大いなる苦労人」といえるのです。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありましたが、近年では死語になっているように思います。辞書を引くと、「苦悩」とはあれこれと苦しみ悩むこと。「苦労」とは物事がうまくいくように精神的・肉体的に励むこと、とあり、この二つの言葉は同じではないのです。
私は学生時代に姓名鑑定を受けたことがありました。その時、「あなたの人生は苦労が多いですよ」と言われ、ショックを受けました。そして、そのあとに「自分のために苦労するのか、人のために苦労するのか、あなたはどちらの人生を選びたいですか?」と言われました。その言葉が、今日の私の人生を決定した一つと言えるかもしれません。
苦労はしたくないと思うのが当たり前です。しかし、苦労のない人生は歓びもなければ、生きがいもない、薄っぺらなものです。苦労があるからこそ、感動や歓び、充実感や生きがいを実感できるのだと思います。
先日、仙台市民講演会で講師を務めてくださった「八王子つばめ塾」の理事長である小宮位之さんは、経済的な事情を抱える子供たちのために無料学習塾を立ち上げられました。安定した仕事をきっぱり退職し、コンビニで深夜アルバイトしながらの挑戦だったそうです。あえて安定した生活を放棄してまで取り組んだからこそ、多くの人たちが共鳴し、協力が得られた。その展開は、小宮さん自身も想像していなかった驚きの展開で、言葉では言い表せないほどの感動や歓びがあるそうです。
庭野日敬開祖さまも、立正佼成会を創立し、質屋通いをしながら命がけで布教活動に取り組んでこられた。そうした本気があるからこそ多くの人が共鳴し、30人足らずの教団から今日の教団にまで拡大していったのだと思います。
“天が人に大任を授けようとするときは、まずその人の精神や身心を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、窮乏の境遇におき、その行動を失敗ばかりさせて、わざわざその人を鍛えるものなのである”という孟子の言葉があります。
本気になって、何かに取り組んでみる。たとえば、仏さまの遣いとして、目の前にいる人を助けるために懸命に行動をしてみる。それは大いなる苦労であり、周囲の人のみならず、神仏も感応し、思いもよらない大きな功徳と歓び・自己の成長をもたらせてくださると思います。
合掌
平成29年10月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則