“自由自在になる道は布施行!” 教会長 近藤雅則(令和元年7月)
- 2019/7/1
- 心を創る
今月の会長法話は、「自由自在に生きる」がテーマ。
二つのおにぎり持っていて、それを5人で分ける。どのように分けたらよいでしょうか?二つとも自分だけが食べる。一つを食べて、残りの一つを4人で分ける。二つを5人で平等に分ける。自分は食べず、二つを4人で分ける。いろいろな分け方が考えられます。また、4人がどんな人かによっても異なると思います。4人が自分の愛する子どもであれば、自身は食べずにすべてを子どもに与えるでしょう。もし4人が苦手な人であれば、自分がすべて食べてしまうかもしれません。
おにぎりの話なら、そんなに深刻ではありませんが、これが多額の財産だったらどうでしょうか?親が残した多額の遺産のために、兄弟が骨肉の争いを繰り広げる話はよく耳にします。遺産があることで、争いや苦が生じるわけです。苦労して残した財産のために争う子どもの姿を見て、亡き親はどんな思いになるでしょうか?
仏教で“自由自在に生きる”とは、自分の思い通りに、勝手気ままに生きることではありません。欲にとらわれたり、自分の考えにこだわったりする心がすっかりなくなること、何ものにもとらわれない心のあり様を自由自在ととらえています。思い煩いも憂いもなく、気持ちがのびのびとして安らかな境地です、と教えられています。
その意味からすると、私たちは、“自由自在に生きている”とは言えないように思います。ままならない現実にぶつかり、不足や不満、苛立ちや苦しみを覚え、不自由を感じることがよくありませんか。
その原因は何でしょうか?
妙法蓮華経の譬(ひ)諭品(ゆほん)第三には、「諸苦(しょく)の所因(しょいん)は 貪欲(とんよく)これ本(もと)なり」とあります。
欲のない人はいません。また、欲があればこそ生きていける、進歩向上する力にもなっているといえます。しかし、この欲というものは際限がありません。この際限ない欲を“貪欲”と言いますが、これが苦の根本的原因だというわけです。よって、その欲をしっかりコントロールすること、“足るを知る”ことが自在に生きるために必要なのです。
では、どうしたら欲をコントロールし、“足るを知る”ことができるのか?
その答えは、布施行にあると思います。布施行は大切なものを手放なす行為で、大きく分けて三つあります。財施(お金や物を施すこと)、身施(身をもって施すこと、ボランティアなど)、法施(正しい言葉、役に立つ言葉を施すこと)の三つです。
布施をした後、なんとも言えない爽快感や解放感を感じます。断捨離をした後のスッキリ感にも似ています。手放すことで、欲が消滅するからだと思います。
2019年7月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則