🙏 こころの彩時記「認めて、ほめて、感謝する…私の求道の旅路」(第2回)
- 2023/4/1
- 自分を創る
すべての人を認めさせて頂く
(「LGBT」を通して)
2023年2月21日、日本を代表する一人の偉大な男性プロレスラーが引退した。そのMプロレスラーは、私の人生の大恩人とも言えるレスラーで、自分が苦しいとき、辛いとき、そして自らの心を病んだとき、いつもこのMレスラーの試合を応援し、その姿に感動し、憧れ、励まされ、力をもらい、今日があると言っても過言ではない。そして、今思えば、Mレスラーに対しファンという心情を遥かに超えた「愛情」というものを抱いてきた。
Mレスラーの引退試合の日、Tドームの観戦席で、過去いつ経験したか記憶にない、ある“思い”をしてしまった。それは、「一目惚れ(ひとめぼれ)」である。その引退するレスラーが登場する数試合前に登場した一人のプロレスラー。そのAレスラーの姿、仕草、雰囲気、オーラに一目惚れしてしまったのである。
家に帰って、Aレスラーの経歴を調べ、その人柄を知って、さらに惚れ込み、その日のうちにブロマイドなどAレスラーに関するグッズを通販で買い、ネットで写真を取り込み、携帯の待ち受けにしてしまった。家内の話ではその夜、就寝中にそのAレスラーのポーズをしきりに真似していたというのだ。
私は何か自分自身のことを書類に書くとき、例えば身近な事例では出張先のホテルの宿泊簿の性別欄など、なんのてらいもなく男性にチェックしている。その男性の私が、男性のレスラーを今までに数十年も愛し続け、さらに同性の男性レスラーに新たに心ときめき、好きになり、愛してしまったのである。
今、「LGBT」ということが、人間の心や身体の自由、人類のこれからのあり方・生き方(ライフスタイル)といった観点からクローズアップされている。
「LGBT」とは、“L”=レズビアン(女性同性愛者)、“G”=ゲイ(男性同性愛者)、“B”=バイセクシュアル(両性愛者)、“T”=トランスジェンダー(生まれた時に割り当てられた性別にとらわれない性別のあり方を持つ人)など、性的少数者の総称である。芸能界やスポーツ界などマスコミを通して公表している人も多数おり、実際に私の周りにもいらっしゃる。
ともすると「LGBT」の人たちに、
「出生時に割り当てられた性別らしく生きて、そのように社会で認知され、男性は女性を、女性は男性を愛するのが普通であり、それ以外は異常でおかしい」
といった固定観念や先入観を持ち、偏見や差別を持つ人も少なくない現状がある。
幸い私たちが信奉する『法華経』では、すべてのものが久遠本仏さまの“大いなるいのち”の中に生き、存在そのものが「仏性」であり、従って私たち人間もすべて《平等》であると説かれている。
今から約20年前、私の長女がまだ小学生に上がりたての頃、娘とこんな会話をしたことを覚えている。
娘「お父さん、私が大きくなって結婚するとき、私が連れてきた人と結婚を許してくれる?」
私「いいよ。もちろんだよ」
娘「どんなお仕事の人でもいい?。世界のどこの国の人でもいい?」
私「うん、いいよ」
娘「本当!? クラスで大の仲良しの〇〇くんでもいい?〇〇ちゃんでもいい?」
私「〇〇くんでも、〇〇ちゃんでもいいよ。お父さん、約束するよ」
当の娘はこの会話を忘れてしまっているようだが、この時本心から娘に「いいよ」と言えたことが、内心、父親としてのひそかな誇りに思えるのである。
庭野開祖は次のように述べていらっしゃる。
山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という教えのとおり、法華経はすべてを認め生かしていく教えてであり、人間ばかりか、山も川も草や木など、ありとあらゆるものに仏性があり同じいのちを与えれているのだという教えです。対立ではなく、それぞれの持ち味を生かしつつ共に生きる、それが法華経の教えです。この思想こそ現代を救うものです。(『三霊山瞑想』庭野日敬著より)
私も人間という尊い存在にたいする“思い違い”や“偏見”、“差別”を捨てて、すべての人を認めさせて頂ける大きな心を持たせて頂き、お互いさまにそれぞれの持ち味を生かしつつ、共に生きていける人間でありたい。そう強く思う。
合 掌
仙台教会会員 H.E
(「認めて、ほめて、感謝する…私の求道の旅路」 続く)