「いのち」の尊さを伝えたい!!(第2回)熊谷 融(日本画家)
- 2018/4/1
- 明日を創る
宮城県仙台市に在住の日本画家 熊谷融(くまがいとおる)先生にご登場いただき、熊谷先生のご体験ならびに絵に込められた思い、願いについて語って頂くシリーズ。今回はその2回目(全3回)です。
◇「いのち」を見つめて
震災後、私は多くの人の尊い「いのち」が失われてしまった姿に、ただ立ち尽くすだけでした。私が愛してやまなかった宮城県の美しい海岸のほとんどが無残な形を呈していました。
私はあまりのショックに自らの方向性を失いました。
「私はこれからどのような絵を描いていけばいいのか?」
「いや、亡くなられた人の魂が少しでも救われるような。そして、残された方々に少しでも希望を持って頂けるような、そんな絵が描けないものか?」
その時、命の象徴としての「蝶」が頭に浮かんできました。
ギリシア神話に、プシュケという美少女が登場します。美の女神アフロディーテは、プシュケが自分よりも美しいと聞き、息子のエロスにプシュケを愛の矢で射抜き、賤しい男に恋させよと命じます。しかしエロスは眠っているプシュケの美しさに動揺し、誤って自らの指を矢で傷つけてしまいます。
愛の矢は射抜かれた者を恋におとす力があり、エロス自身がプシュケに恋してしまうといった神話の内容です。このプシュケは、古代ギリシア語で心や魂、そして蝶を意味します。
この神話は、愛(エロス)が魂(プシュケ)を求め、苦難で清められた後に真の悦びを得るという意味を表しています。「魂」と「蝶」が同じ言葉であるのは、「蝶」は蛹(さなぎ)から成虫に変わると、地上から空に舞い昇ります。きっと人間の体から抜け出る魂と似ていると考えられたかもしれません。
また、日本の神話を記した『日本書紀』では、東国富士川の近辺で虫神さまを祀れば「貧者は富を得、老人は若返る」と唱える信仰が流行したと記されています。この記述を読み進めていくと虫神さまはアゲハチョウの幼虫ではなかったかと推測されています。これもやはり蝶が蛹から姿を一変して空に飛び出すということに神秘性を感じて生まれた信仰だったのだろうと思います。
私は早速、アゲハ蝶の幼虫を飼い始めました。そして、大事に育てていくと、やがて蛹になり、その蛹から透き通った羽根を持った、光り輝く青いアゲハ蝶が飛び立ったのです。
私は、そのアゲハ蝶の姿形はもとより、そのものが持つ「いのち」の美しさ、尊さに心うたれ、魂の底から湧き上がる感動を覚えました。
「このいのちの尊さ、美しさを絵にしよう!!」
そう私が思い立ち、一心不乱に筆を運ばせた絵が「暁明松島」でした。
日本の原風景といえる松島海岸をバックに昇る朝日の受けながら孵化したばかりのアゲハ蝶が天へと舞い上がっていく。
アゲハ蝶はまさに魂の象徴です。震災で亡くなった人の魂が天へ昇っていき、また遺された方々の悲しみ、寂しさを暖かな朝日を受けて安らぎ、そして希望へと導かれていく。この「暁明松島」は、私の日本画家として再出発していく原点となりました。
“日本の自然の中で、朝日あるいは月光を浴びて輝く「いのち」の尊さを、琳派の偉大な先輩方に見習いながら描いていく”
このことが、私の生涯をかけて追及していくテーマとなりました。
《熊谷先生、作品紹介》
【プロフィール】
熊谷 融(くまがいとおる)
1958年 宮城県岩沼市に生れる
1981年 アトリエクマガイ藝術学院 開校
1984年 「第39回 院展」初入選
1986年 愛知県立芸術大学大学院日本画研修科修了
2011年 第14回 絵のまち尾道四季展 金賞(準グランプリ)
《現 在》
日本美術院院友、宮城県芸術協会会員、アトリエクマガイ藝術学院塾長
愛知県立芸術大学時代、片岡球子画伯(1905-2008 昭和-平成時代の日本画家。芸術院会員。平成元年、文化勲章受章)に師事し、同窓の理慧古夫人も、現在、日本画家として活躍している。
(第3回に続く)