今月『佼成』の会長法話は「いまを ともに生きる」がテーマです。
「人はだれもが生まれた瞬間から、それぞれ他と比べようのない尊い存在・・・。そして自らの命の尊さを自覚して生きることを教えるのが仏教です」(P13.4)と説かれています。
このお言葉が、4月8日の降誕会を迎える大切な心構えだと思います。
私たちは、自分を他人と比べて背が高いとか低いとか、能力が高いとか低いとか、話が上手だとか下手だとか、頭が良いとか悪いとか、お金があるとかないとか・・・・。そのように、他人と比べて自分を評価しています。そして他人より自分が優れていると感じたときは優越感を感じ、劣っていると感じたときは劣等感や卑屈感を感じます。エレベーターのように気持ちが上がったり下がったり、とても忙しいのです。心がいつも不安定で、苦悩が常につきまといます。
しかし、本当の自分は、他と比べようもない世界でただ一人、唯一無二の尊い存在なのです。その自覚に立ち、安心してイキイキと生きていくことが仏教の核心であるというのです。
「仏教は、仏になるための教え」だと言われます。では、「仏になる(成仏)」とは、どのようなことをいうのでしょうか?
『佼成教学』には、「宇宙を貫く真理・法を悟り、宇宙の大生命(本仏)と一体となって生きることを成仏といいます。それは、人間の理想の境地であり、いわば人格完成です」と表現されています。
このことを言い換えると、本当の自分は世界でただ一人、唯一無二の尊い存在だと自覚して生きることだと思います。そして、この世にいのちを授かり誕生した限りは、必ずその意味があり、この世界で果たす役割があるはずだ。その役割を自分なりに精一杯果たしていこうという思いに立てたとき、その人の人生は生きがいと充実感にあふれるに違いありません。
また、この自覚ができると、大いなる自信もわいてきます。そうすると大きな安心感と勇気がわいてきます。そして、やることなすことが不思議なほどに順調に進みだします。この大いなる自信は、まさに人生を好転させる大宝なのです。
逆に、他人と自分を比較して劣等感や卑屈感を感じながら生きているうちは、どんなに能力が高くても、どんなに努力しても、すべて苦労ばかりで、ものごとが順調にいきません。この違いは、本当の自分は、世界でただ一人、唯一無二の尊い存在だという自覚の有無なのです。
石ころは、どんなに磨いてもダイヤモンドになりません。それと同じように、私たちがどんなに精進・努力しても、自分をダメな人間と思い込み、劣等感や卑屈感を感じたままでは、人格は向上しない(仏には近づけない)のです。
人格を高める(仏に近づく)ためには、「我は仏の子」である、仏と同じいのちに生かされている尊い存在であるという自覚が不可欠で、この自覚があるかないかが天と地ほどの大きな違いだということです。
「まず人さま」と損得勘定を超えてわが身を使い、心と言葉を尽くして人を思いやるとき、その実践は自分の幸せや喜びとともに、みんなの救いにつながる光明になる」(P15.1)とあります。
相手を思う慈悲の実践が、自分とともに多くの人に希望と安らぎを与えることにつながるというのです。本会会員である私たちは、日ごろから「まず人さま」と言って自分より他人を優先させることができます。また、人のためになることが喜びであり、他人の喜びを自分のことのように感じて共に喜ぶことができます。こうしたことは、信仰心をもたない人では考えにくいことで、本当に尊いことなのです。まさに信仰心をもつことによる大きな功徳と言えましょう。
新型コロナの感染拡大が続き、世間の気持ちは沈みがちです。しかし、桜前線は確実に北上し、宮城県でも素晴らしい花を咲かせています。桜は桜なりに、尊いいのちを他と比べることなく、精一杯輝かせているのです。まるで、私たちに“大丈夫、元気を出して!” “自分のいのちの尊さを自覚し、精一杯自分らしく生きていきなさい‼”と励ましてくれているようです。
桜の花の応援を頂き、春風のように“爽やかに”、“軽やかに”、“にこやかに”憂える人の心に慈悲のこころを届けていきましょう。
合 掌
2021年4月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則