🍀 “いのちの尊さを自覚し、生きがいをもって生きる” 教会長 近藤雅則(令和2年2月)
- 2020/2/1
- 心を創る
今月の『佼成』会長法話は、「生きがいをみつけよう」がテーマです。
2月15日は涅槃会、お釈迦さまの亡くなられた日です。お釈迦さまは、ご自分の死をとおして、「生きとし生けるものは、みな、いつか必ず死を迎える」という実相とともに、「自分のいのちの尊さを自覚し、生きがいをもって生きることの大切さ」を示されていると思います。
死は、だれも恐ろしく避けてとおりたいものです。しかし、死があるからこそ、生のありがたさや大切さが際立つのでしょう。また、生に限りあるからこそ、私たちは精一杯生きることができるのかもしれません。
例えるならば、マラソン競技のようなものだと思います。42キロ以上の長距離を走り続けることは苦しいに違いありません。しかし、必ずゴールがあるから走り続けることができるのでしょう。もしゴールがなく、いつまで走り続けるのかわからないとしたら、きっとどこかでやる気を失い、走り続けることができないと思います。
私たちがこの世に生まれてきた目的は何だと思いますか?単に仕事をして、お金を稼いで、食べて、寝るだけではないはずです。財産や権力、社会的地位や名誉を得るためでもないはずですし、子孫を残すだけでもないはずです。まして、おいしいものを食べて、したいことをして、自分本位に生きるためでもないはずです。
表現はいろいろありますが、私たちは「人間的に成長するため」、「心を高めるため」、「魂を清めるため」、「仏に近づくため」・・・なのです。そのことをしっかり念頭に置いて生きていくことで、人生を貫く心棒が得られるのです。
法華経法師品に「衆生(しゅじょう)を愍(あわれ)むが故(ゆえ)に此(こ)の人間(にんげん)に生(しょう)ずるなり」(現世で苦しむ人々を何とか救いたいと思う心から、人間として生まれてきた)とあります。そんな高尚な思いを抱いて生まれてきたと自覚している人はほとんどいないでしょう。しかし、法華経では、誰もがこのような尊い思いを抱いて生まれてきていると説いているわけです。このことを「ああ、そうだったのか・・・!」と、素直に受けとめることで、私たちの人生の意味がまったく別のものになってきます。
人生途上に生じるさまざまな苦悩や問題も、生まれてくる前から承知の上のことであるわけです。苦悩や問題が多い人ほど、不運や不幸な人ではなく、難問に対応できるレベルの高い人と言えましょう。
法華経はつまるところ、「生まれてきた本来の目的をしっかり自覚し、世のため、人のためになることを欲得なしに実行せよ」という教えです。
合 掌
2020年2月1日
立正佼成会仙台教会
教会長 近藤雅則